正当防衛は認められるか?:被害者が寝ている間に攻撃された事件
G.R. No. 121668, June 20, 2000
はじめに
フィリピンでは、正当防衛が認められるか否かは、刑事事件において非常に重要な争点となります。特に殺人事件においては、被告人が正当防衛を主張することが少なくありません。しかし、正当防衛が認められるためには、いくつかの厳しい要件を満たす必要があります。本稿では、フィリピン最高裁判所の判決(PEOPLE OF THE PHILIPPINES, PLAINTIFF-APPELLEE, VS. JOEL TAÑEZA Y DACAL, ACCUSED-APPELLANT.)を基に、正当防衛の成立要件と、それが認められなかった事例について解説します。この事件は、被告人が被害者を射殺した事件ですが、裁判所は被告人の正当防衛の主張を認めず、殺人罪で有罪判決を下しました。なぜ正当防衛が認められなかったのか、事件の詳細と判決理由を詳しく見ていきましょう。
法的背景:正当防衛の要件
フィリピン刑法典第11条は、正当防衛を免責事由の一つとして規定しています。正当防衛が成立するためには、以下の3つの要件をすべて満たす必要があります。
- 違法な攻撃 (Unlawful Aggression):正当防衛は、まず違法な攻撃が存在することが前提となります。これは、被害者側から始まった不当な暴力行為を指します。単なる口論や挑発だけでは違法な攻撃とは認められません。具体的な暴力の行使、または差し迫った暴力の脅威が必要です。
- 合理的な必要性 (Reasonable Necessity):反撃行為は、違法な攻撃を阻止するために合理的に必要であったと認められる範囲内で行われなければなりません。過剰な反撃は正当防衛として認められません。反撃の程度は、攻撃の危険性と均衡が取れている必要があります。
- 挑発の欠如 (Lack of Sufficient Provocation):防衛者が、被害者の攻撃を招いた挑発行為を行っていないことも要件となります。自ら争いを仕掛けた場合や、相手を挑発して攻撃させたような場合には、正当防衛は認められにくくなります。
これらの要件は累積的なものであり、一つでも欠けると正当防衛は成立しません。特に、殺人事件においては、これらの要件の立証責任は被告人側にあります。被告人は、自らの行為が正当防衛に該当することを証拠によって明確に示さなければなりません。
最高裁判所は、過去の判例で正当防衛の要件を厳格に解釈しており、特に「違法な攻撃」の存在を重視しています。例えば、単に相手が武器を所持していたというだけでは、直ちに違法な攻撃があったとは言えません。実際に武器が使用され、生命の危険が差し迫った状況でなければ、正当防衛は認められない傾向にあります。
フィリピン刑法典第11条1項には、次のように規定されています。
Art. 11. Justifying circumstances. – The following do not incur any criminal liability:
(1) Anyone who acts in defense of his person or rights, provided that the following circumstances concur:
First. Unlawful aggression;
Second. Reasonable necessity of the means employed to prevent or repel it;
Third. Lack of sufficient provocation on the part of the person defending himself.
この条文からも明らかなように、正当防衛の成立は厳格な要件の下で判断されます。弁護士は、これらの要件を دقیقに理解し、証拠に基づいて正当防衛を主張する必要があります。
事件の概要:タネザ対フィリピン国事件
本件は、ジョエル・タネザ被告が、被害者エマーソン・ウマンダムを射殺した事件です。事件は、1993年10月21日、スルタンクダラット州イスランのラッキーエースベーカリーで発生しました。検察側の主張によれば、被告人は被害者がベーカリーのドアのそばで寝ているところを銃撃しました。一方、被告人は正当防衛を主張し、被害者が先に銃を取り出して攻撃してきたと述べました。
事件の経緯:
- 事件当日:被告人は、被害者が自分のバイクのライトガードを盗んだと聞き、被害者が働くラッキーエースベーカリーへ向かいました。
- ベーカリーでの口論:被告人はベーカリーで被害者と口論になり、被害者にライトガードを盗んだ理由を尋ねました。
- 被告人の主張:被告人は、口論中に被害者が銃を取り出し、もみ合いになった結果、銃が暴発し、被害者を射殺してしまったと主張しました。
- 目撃者の証言:ベーカリーの経営者であるアイダ・エスグリナは、被害者が寝ている間に被告人が銃撃したと証言しました。彼女は、被告人が被害者に4発発砲し、さらに銃で頭を殴ったと述べました。
- 被害者の死亡:被害者は病院に搬送されましたが、数日後に死亡しました。
- 被告人の逮捕:被告人は現場に駆け付けた警察官に逮捕されました。
裁判所の判断:
第一審の地方裁判所は、検察側の証拠と目撃者の証言を重視し、被告人の正当防衛の主張を退けました。裁判所は、被害者が寝ている間に攻撃されたという状況から、被告人の行為は「待ち伏せ」に該当し、計画的な犯行であると認定しました。また、被害者の死亡直前の供述(瀕死の際の陳述)も証拠として採用され、被告人が犯人であるとされました。裁判所は、被告人に殺人罪で有罪判決を下し、不法な銃器所持罪については証拠不十分として無罪判決を言い渡しました。
被告人はこの判決を不服として上訴しましたが、最高裁判所も地方裁判所の判決を支持し、被告人の上訴を棄却しました。最高裁判所は、目撃者エスグリナの証言の信用性を認め、被告人の正当防衛の主張を裏付ける証拠がないと判断しました。裁判所は、判決の中で次のように述べています。
「被告人の正当防衛の主張は、被害者の体に多数の銃創があったことによって否定される。さらに、正当防衛の主張は、事件直後の逮捕時には行われず、裁判になって初めて主張されたものである。」
最高裁判所は、計画性と待ち伏せがあったと認定し、被告人の行為を殺人罪と断定しました。これにより、原判決の殺人罪による有罪判決が確定しました。
実務上の教訓と法的影響
本判決から得られる実務上の教訓は、正当防衛の主張が認められるためには、非常に厳格な要件を満たす必要があるということです。特に、殺人事件においては、被告人側が正当防衛の成立要件をすべて立証しなければなりません。本件では、被告人の主張は、客観的な証拠や目撃者の証言によって裏付けられず、裁判所は正当防衛を認めませんでした。
実務上のポイント:
- 客観的証拠の重要性:正当防衛を主張する際には、目撃者の証言、現場の状況、物的証拠など、客観的な証拠が非常に重要となります。被告人の供述だけでなく、客観的な証拠によって正当防衛の状況を立証する必要があります。
- 一貫性のある主張:正当防衛を主張する場合には、逮捕直後から一貫してその主張を続けることが重要です。裁判になって初めて正当防衛を主張するような場合、裁判所は被告人の供述の信用性を疑う可能性があります。
- 弁護士との早期相談:刑事事件に巻き込まれた場合、早期に弁護士に相談し、適切な法的アドバイスを受けることが不可欠です。弁護士は、証拠収集や法廷での弁護活動を通じて、被告人の権利を最大限に守ります。
本判決は、フィリピンにおける正当防衛の解釈と適用に関する重要な判例の一つです。弁護士は、正当防衛事件を扱う際に、本判決の教訓を踏まえ、より慎重かつ戦略的に弁護活動を行う必要があります。依頼者に対しては、正当防衛の要件と立証責任について十分に説明し、誤解のないようにする必要があります。
主な教訓:
- 正当防衛の成立には、違法な攻撃、合理的な必要性、挑発の欠如の3要件が必要。
- 客観的証拠が正当防衛の立証において極めて重要。
- 一貫性のある主張と早期の弁護士相談が不可欠。
よくある質問(FAQ)
- Q: 正当防衛が認められるのはどのような場合ですか?
A: 正当防衛が認められるのは、違法な攻撃があり、その攻撃を阻止するために合理的な範囲で反撃した場合です。また、自分から挑発していないことも条件となります。 - Q: 口論だけで正当防衛は成立しますか?
A: いいえ、口論だけでは正当防衛は成立しません。正当防衛が成立するためには、具体的な暴力行為、または差し迫った暴力の脅威が必要です。 - Q: 過剰防衛は正当防衛として認められますか?
A: いいえ、過剰防衛は正当防衛として認められません。反撃は、攻撃の危険性と均衡が取れている必要があります。 - Q: 瀕死の際の陳述(ダイイング・デクラレーション)とは何ですか?
A: 瀕死の際の陳述とは、被害者が死期を悟り、死の直前に行った供述のことです。フィリピンの裁判所では、一定の要件を満たす場合、証拠として採用されることがあります。 - Q: 正当防衛を主張する場合、誰が立証責任を負いますか?
A: 正当防衛を主張する場合、被告人側が立証責任を負います。被告人は、自らの行為が正当防衛に該当することを証拠によって示さなければなりません。 - Q: 今回の判決で被告人はなぜ殺人罪で有罪になったのですか?
A: 今回の判決で被告人が殺人罪で有罪になったのは、裁判所が被告人の正当防衛の主張を認めず、検察側の証拠と目撃者の証言から、被告人が計画的に被害者を射殺したと認定したためです。特に、被害者が寝ている間に攻撃されたという状況が重視されました。 - Q: 不法な銃器所持で無罪になったのはなぜですか?
A: 不法な銃器所持で無罪になったのは、検察側が被告人が銃器の所持許可証を持っていないことを十分に証明できなかったためです。不法な銃器所持罪の成立には、銃器が不法に所持されていたことの証明が必要です。
本稿は情報提供のみを目的としており、法的助言ではありません。具体的な法的問題については、konnichiwa@asglawpartners.comまでお気軽にご相談ください。ASG Lawは、刑事事件、特に正当防衛に関する豊富な経験と専門知識を有する法律事務所です。マカティ、BGC、そしてフィリピン全土のお客様に対し、質の高いリーガルサービスを提供しております。お気軽にお問い合わせページからご連絡ください。日本語でも対応可能です。