正当防衛は違法な攻撃が不可欠
G.R. No. 172606, 2011年11月23日
はじめに
フィリピンの刑事裁判において、正当防衛は被告がしばしば主張する抗弁ですが、その主張が虚偽である場合も少なくありません。正当防衛が認められるためには、法律で定められた要件を満たす必要があり、被告側はこれらの要件を信頼性のある証拠によって証明する義務があります。本稿では、メラニオ・ヌガス対人民事件(People v. Nugas)を題材に、正当防衛の成立要件と、それが認められなかった事例について解説します。この最高裁判所の判決は、正当防衛の主張が安易に認められるものではないことを改めて明確にしています。
1997年3月26日の夜、被害者グレン・レミジオとその家族が乗車する車に、被告メラニオ・ヌガスと共犯者がヒッチハイクを装って乗り込みました。車が走行中、ヌガスらは突然ナイフを取り出し、レミジオ夫妻を脅迫。その後、ヌガスはレミジオの首を刺して殺害しました。ヌガスは裁判で正当防衛を主張しましたが、地方裁判所、控訴裁判所、そして最高裁判所はいずれもヌガスの主張を認めず、殺人罪で有罪判決を下しました。本稿では、この事件の詳細と判決内容を分析し、正当防衛が成立するための重要なポイントを解説します。
法的背景:正当防衛の要件
フィリピン刑法典第11条は、正当防衛を犯罪責任を免れるための正当化事由の一つとして規定しています。正当防衛が認められるためには、以下の3つの要件をすべて満たす必要があります。
- 違法な攻撃(Unlawful Aggression): 被害者による違法な攻撃が現実に存在するか、または差し迫った危険がなければなりません。これは正当防衛の最も重要な要件です。単なる口頭での脅迫や侮辱は、違法な攻撃とはみなされません。具体的な身体的攻撃、または生命や身体に対する現実的な脅威が必要です。
- 合理的な手段の必要性(Reasonable Necessity of the Means Employed): 防衛手段は、違法な攻撃を防ぐまたは撃退するために合理的に必要なものでなければなりません。過剰な防衛行為は正当防衛として認められません。攻撃の程度と防衛の程度が均衡している必要があります。
- 挑発の欠如(Lack of Sufficient Provocation): 防衛を主張する側に、十分な挑発行為がないこと、または挑発行為があったとしても、それが被害者の攻撃の直接かつ即時の原因ではないことが必要です。自ら挑発行為を行った場合、正当防衛は認められにくくなります。
これらの要件は、正当防衛を主張する被告によって、明確かつ説得力のある証拠によって証明されなければなりません。証拠による証明責任は被告側にあります。単に自己の主張を繰り返すだけでは、正当防衛は認められません。
事件の詳細:ヌガス対人民事件の経緯
事件は1997年3月26日に発生しました。被害者グレン・レミジオは、妻と2人の子供と共に家族車両で走行中、被告メラニオ・ヌガスと共犯者にヒッチハイクを頼まれました。親切心から彼らを乗せたところ、ヌガスらは車内で突然強盗に豹変。ヌガスはレミジオの首をナイフで刺し、レミジオは失血死しました。ヌガスは逮捕され、殺人罪で起訴されました。
裁判において、ヌガスは正当防衛を主張しました。ヌガスの供述によれば、料金を巡ってレミジオと口論になり、レミジオが先に殴りかかってきたため、護身のために反撃したと主張しました。しかし、ヌガスの証言は客観的な証拠と矛盾しており、裁判所は信用性を認めませんでした。一方、被害者の妻であるニラ・レミジオは、事件の状況を一貫して証言し、ヌガスが背後から突然レミジオを刺したと証言しました。ニラの証言は、事件の客観的な状況とも一致しており、裁判所はニラの証言を信用しました。
地方裁判所は、ヌガスの正当防衛の主張を退け、殺人罪で有罪判決を下しました。ヌガスは控訴しましたが、控訴裁判所も原判決を支持。さらにヌガスは最高裁判所に上告しましたが、最高裁判所も控訴裁判所の判断を支持し、ヌガスの有罪判決が確定しました。
最高裁判所は、判決の中で以下の点を強調しました。
- 「正当防衛を主張する被告は、自らの主張を信頼性のある証拠によって証明する責任がある。」
- 「本件において、被告ヌガスは被害者からの違法な攻撃があったことを証明できなかった。被害者が被告を殴り、ダッシュボードのバッグに手を伸ばしたという被告の証言は、状況から考えて不自然であり、信用できない。」
- 「被害者は運転席に座っており、妻と子供が同乗していた状況で、後部座席に座る被告に攻撃を仕掛けるとは考えにくい。むしろ、被告は背後から被害者を突然襲撃しており、これは待ち伏せであり、不意打ちである。」
- 「したがって、本件は正当防衛ではなく、不意打ちによる殺人、すなわち背信性が認められる殺人罪に該当する。」
これらの理由から、最高裁判所はヌガスの正当防衛の主張を全面的に否定し、殺人罪の有罪判決を支持しました。
実務への影響:正当防衛を主張する際の注意点
本判決は、正当防衛の主張が認められるためには、単に自己の主張を繰り返すだけでは不十分であり、客観的かつ信頼性のある証拠によって立証する必要があることを改めて示しています。特に、違法な攻撃の存在は正当防衛の根幹をなす要件であり、これが証明できなければ正当防衛は成立しません。自己防衛を主張する側は、以下の点に留意する必要があります。
- 客観的な証拠の収集: 目撃者の証言、現場の写真やビデオ、鑑定書など、客観的な証拠をできる限り収集することが重要です。
- 一貫性のある供述: 捜査段階から裁判まで、供述内容に矛盾がないように注意する必要があります。
- 弁護士との相談: 事件発生直後から弁護士に相談し、適切な法的アドバイスを受けることが不可欠です。弁護士は、証拠収集のサポート、供述書の作成、裁判での弁護活動など、多岐にわたってサポートを行います。
正当防衛は、生命に関わる重大な問題であり、その成否は裁判の結果を大きく左右します。安易な自己判断に頼らず、専門家である弁護士の助けを借りながら、慎重に対応することが重要です。
よくある質問(FAQ)
- Q: どのような行為が「違法な攻撃」とみなされますか?
A: 違法な攻撃とは、生命、身体、自由に対する不法な侵害を意味します。具体的には、殴る、蹴る、刺す、撃つなどの身体的な攻撃や、ナイフや銃器などの武器を使用した脅迫などが該当します。単なる口頭での脅迫や侮辱は、原則として違法な攻撃とはみなされません。 - Q: 相手から先に暴力を振るわれた場合、必ず正当防衛が成立しますか?
A: いいえ、必ずしもそうとは限りません。正当防衛が成立するためには、違法な攻撃の他に、「合理的な手段の必要性」と「挑発の欠如」の要件も満たす必要があります。例えば、相手の軽い暴力に対して過剰な反撃を行った場合や、自ら積極的に挑発行為を行った場合などは、正当防衛が認められない可能性があります。 - Q: 正当防衛が認められた場合、どのような法的効果がありますか?
A: 正当防衛が認められた場合、被告は無罪となります。正当防衛は、違法な行為を「正当化」するものであり、犯罪が成立しないとみなされるためです。 - Q: 自分の身を守るために、どこまで反撃が許されますか?
A: 防衛行為は、「合理的な手段の必要性」の範囲内で行われなければなりません。これは、攻撃の程度と防衛の程度が均衡している必要があるという意味です。過剰な防衛行為は、正当防衛として認められず、逆に犯罪となる可能性があります。 - Q: もし正当防衛が認められなかった場合、どのような罪に問われますか?
A: 正当防衛が認められなかった場合、その行為が犯罪に該当するかどうか、そしてどのような犯罪に該当するかは、個別の状況によって異なります。本件のように、人を死亡させた場合は、殺人罪や傷害致死罪などに問われる可能性があります。
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