証拠不十分による棄却は確定判決であり、原則として覆すことはできません。
PEOPLE OF THE PHILIPPINES, PETITIONER, VS. HON. SANDIGANBAYAN (THIRD DIVISION) AND MANUEL G. BARCENAS, RESPONDENTS. G.R. No. 174504, March 21, 2011
刑事裁判において、被告人が一度無罪となった場合、たとえ裁判所の判断に誤りがあったとしても、二重処罰の禁止原則によって再び同じ罪で裁かれることはありません。これは、民主主義国家における個人の自由と権利を保護するための重要な原則です。しかし、証拠不十分による棄却(Demurrer to Evidence)が認められた場合、検察は常にその判断を受け入れなければならないのでしょうか?
今回取り上げる最高裁判所の判決は、証拠不十分による棄却と二重処罰の禁止原則の適用範囲について重要な判断を示しています。この判決を通して、フィリピンの刑事訴訟における証拠不十分による棄却の効果、そして検察が取りうる法的措置について深く掘り下げていきましょう。
証拠不十分による棄却(Demurrer to Evidence)とは?
フィリピンの刑事訴訟規則119条23項には、証拠不十分による棄却(Demurrer to Evidence)が規定されています。これは、検察側の証拠調べが終了した後、被告人が「検察官の提出した証拠は、有罪判決を維持するには不十分である」と主張し、裁判所に対して訴訟の却下を求める手続きです。裁判所がこの申し立てを認めると、訴訟は棄却され、被告人は無罪となります。
重要なのは、証拠不十分による棄却が認められた場合、それは実質的に無罪判決と同等の効果を持つということです。原則として、検察はこれに対して控訴することはできません。なぜなら、控訴は二重処罰の禁止原則に抵触する可能性があるからです。二重処罰の禁止とは、憲法で保障された基本的人権の一つであり、同一の犯罪について二度裁判を受けさせないという原則です。
ただし、例外的に、証拠不十分による棄却の判断に「重大な裁量権の濫用(grave abuse of discretion)」があったと認められる場合には、検察は certiorari という特別な訴訟手続きを通じて、最高裁判所に判断の再検討を求めることができます。「重大な裁量権の濫用」とは、裁判所がその権限を著しく逸脱し、正義を著しく損なうような行為を指します。例えば、検察に証拠提出の機会を全く与えなかった場合や、裁判が形式的なものであった場合などが該当します。
今回の最高裁判所の判決は、まさにこの「重大な裁量権の濫用」の有無が争点となりました。サンディガンバヤン(汚職事件専門裁判所)が証拠不十分による棄却を認めた判断に、重大な裁量権の濫用があったのか? それとも、単なる法律解釈の誤りに過ぎないのか? 最高裁判所は、この問いに対して明確な答えを示しました。
事件の経緯:副市長の現金前払い未精算事件
事件の舞台は、セブ州トレド市。主人公は、当時の副市長マヌエル・G・バルセナス氏です。バルセナス氏は、1995年12月19日頃、トレド市から合計61,765ペソの現金前払いを受けました。この現金前払いは、公的資金の不正支出を防止するための大統領令1445号89条に違反する疑いがあるとして、サンディガンバヤンに起訴されました。
起訴状によると、バルセナス副市長は、その職務に関連して現金前払いを受けたにもかかわらず、法で定められた期間内に精算を行いませんでした。検察側は、バルセナス副市長が意図的に精算を怠り、政府に損害を与えたと主張しました。
裁判はサンディガンバヤン第三部で審理されることになり、バルセナス氏は罪状認否で無罪を主張しました。検察側は唯一の証人として、監査委員会の監査官マノロ・トゥリバオ・ビラッド氏を証人として申請しました。ビラッド監査官は、バルセナス副市長が現金前払いを精算していないことを証言しました。その後、検察側は証拠を正式に提出し、立証を終えました。
しかし、バルセナス副市長側は、ここで証拠不十分による棄却(Demurrer to Evidence)を申し立てます。サンディガンバヤンは、この申し立てを認め、訴訟を棄却する決定を下しました。サンディガンバヤンは、その理由として「検察側の証人であるビラッド監査官の証言は、むしろ被告が現金前払いを精算したことを認めるものであり、検察側の訴えを弱めるものだった。事件が裁判所に提訴された時点で、被告はすでに問題の現金前払いを全額精算していた。したがって、本件には損害の要素が欠けている」と述べました。
最高裁判所の判断:サンディガンバヤンの判断は「法律解釈の誤り」だが…
このサンディガンバヤンの決定に対して、検察側は certiorari を提起し、最高裁判所に判断を仰ぎました。検察側は、PD 1445号89条の違反は、現金前払いの不精算自体が犯罪であり、政府に実際の損害が発生したかどうかは関係ないと主張しました。つまり、バルセナス副市長が後に精算したとしても、犯罪はすでに成立しているという理屈です。
最高裁判所は、サンディガンバヤンの判断は「法律解釈の誤り」であると認めました。最高裁判所は、PD 1445号89条とそれを実施するCOA Circular No. 90-331の規定を詳細に検討し、現金前払いの不精算罪は、政府に実際の損害が発生したかどうかを要件としていないと解釈しました。つまり、期限内に精算しなかった時点で犯罪は成立し、その後の精算は量刑の軽減事由にはなりえても、無罪の理由にはならないということです。
最高裁判所は判決の中で、以下の条文を引用し、その解釈を示しました。
SECTION 89. Limitations on Cash Advance. — No cash advance shall be given unless for a legally authorized specific purpose. A cash advance shall be reported on and liquidated as soon as the purpose for which it was given has been served. No additional cash advance shall be allowed to any official or employee unless the previous cash advance given to him is first settled or a proper accounting thereof is made.
SECTION 128. Penal Provision. — Any violation of the provisions of Sections 67, 68, 89, 106, and 108 of this Code or any regulation issued by the Commission [on Audit] implementing these sections, shall be punished by a fine not exceeding one thousand pesos or by imprisonment not exceeding six (6) months, or both such fine and imprisonment in the discretion of the court. (Emphasis supplied.)
9.7 If 30 days have elapsed after the demand letter is served and no liquidation or explanation is received, or the explanation received is not satisfactory, the Auditor shall advise the head of the agency to cause or order the withholding of the payment of any money due the AO. The amount withheld shall be applied to his (AO’s) accountability. The AO shall likewise be held criminally liable for failure to settle his accounts.[15] (Emphasis supplied.)
最高裁判所は、これらの条文とCOA Circular No. 90-331の規定から、不精算罪の本質は、政府への損害ではなく、説明責任を負う公務員が職務上受け取った資金の会計処理を迅速に行うことを強制することにあると結論付けました。つまり、サンディガンバヤンが「損害がない」ことを理由に証拠不十分による棄却を認めたのは、法律解釈を誤った判断であると言えます。
しかし、最高裁判所は、サンディガンバヤンの判断が法律解釈の誤りであったとしても、 certiorari を認めることはできないと判断しました。なぜなら、証拠不十分による棄却は、実質的に無罪判決と同等の効果を持ち、検察が控訴することは二重処罰の禁止原則に抵触するからです。そして、 certiorari が認められるためには、「重大な裁量権の濫用」があったことが必要ですが、本件ではそのような濫用は認められないと判断しました。
最高裁判所は判決の中で、次のように述べています。
Nonetheless, even if the Sandiganbayan proceeded from an erroneous interpretation of the law and its implementing rules, the error committed was an error of judgment and not of jurisdiction. Petitioner failed to establish that the dismissal order was tainted with grave abuse of discretion such as the denial of the prosecution’s right to due process or the conduct of a sham trial. In fine, the error committed by the Sandiganbayan is of such a nature that can no longer be rectified on appeal by the prosecution because it would place the accused in double jeopardy.
つまり、サンディガンバヤンの判断は「法律解釈の誤り」という「判断の誤り(error of judgment)」に過ぎず、「管轄権の逸脱(error of jurisdiction)」を伴う「重大な裁量権の濫用」には当たらないと判断されたのです。したがって、たとえ裁判所の判断が誤っていたとしても、二重処罰の禁止原則によって、もはや覆すことはできないという結論になりました。
実務上の教訓:証拠不十分による棄却と検察の戦略
この最高裁判所の判決は、証拠不十分による棄却が認められた場合、それが確定判決となり、原則として覆すことができないということを改めて明確にしました。検察側としては、証拠不十分による棄却を回避するために、以下の点に留意する必要があります。
- 十分な証拠の収集と提出: 裁判所に有罪判決を確信させるだけの十分な証拠を、検察側の立証段階でしっかりと提出することが重要です。特に、主要な証拠となる証人尋問や書証の準備は入念に行う必要があります。
- 証拠の関連性の明確化: 提出する証拠が、罪状のどの要素を立証するものであるのかを明確に示す必要があります。証拠と罪状の関連性が不明確な場合、裁判官に証拠の価値を正しく評価してもらえない可能性があります。
- 法律解釈の正確性: 検察官は、事件に適用される法律や規則を正確に理解し、裁判所に適切に説明する責任があります。法律解釈の誤りは、裁判所の判断を誤らせ、証拠不十分による棄却につながる可能性があります。
一方、被告人側としては、証拠不十分による棄却は非常に強力な防御手段となります。検察側の証拠が不十分であると判断した場合、積極的に証拠不十分による棄却を申し立てることを検討すべきでしょう。ただし、証拠不十分による棄却が認められるかどうかは、裁判官の裁量に委ねられています。そのため、弁護士と十分に協議し、戦略的に申し立てを行うことが重要です。
重要なポイント
- 証拠不十分による棄却が認められると、それは実質的に無罪判決となり、原則として覆すことはできません。
- 検察が certiorari を提起できるのは、証拠不十分による棄却の判断に「重大な裁量権の濫用」があった場合に限られます。
- 「法律解釈の誤り」は「判断の誤り」であり、「重大な裁量権の濫用」には該当しないと解釈される傾向にあります。
- 検察は、証拠不十分による棄却を回避するために、十分な証拠の収集と提出、証拠の関連性の明確化、法律解釈の正確性を心がける必要があります。
- 被告人側は、証拠不十分による棄却を戦略的な防御手段として活用することができます。
よくある質問(FAQ)
Q1: 証拠不十分による棄却(Demurrer to Evidence)は、どのようなタイミングで申し立てるのですか?
A1: 検察側の証拠調べがすべて終了した後、被告人側が申し立てることができます。
Q2: 証拠不十分による棄却が認められると、必ず無罪になるのですか?
A2: はい、証拠不十分による棄却が認められると、訴訟は棄却され、被告人は無罪となります。そして、原則として、再び同じ罪で裁かれることはありません。
Q3: 検察は、証拠不十分による棄却の決定に対して、どのような法的手段を取ることができますか?
A3: 原則として控訴はできませんが、例外的に certiorari という特別な訴訟手続きを通じて、最高裁判所に判断の再検討を求めることができます。ただし、 certiorari が認められるのは、「重大な裁量権の濫用」があった場合に限られます。
Q4: 「重大な裁量権の濫用」とは、具体的にどのようなケースを指しますか?
A4: 例えば、検察に証拠提出の機会を全く与えなかった場合や、裁判が形式的なものであった場合などが該当します。単なる法律解釈の誤りは、「重大な裁量権の濫用」には当たらないと解釈される傾向にあります。
Q5: 証拠不十分による棄却と、通常の無罪判決の違いは何ですか?
A5: 実質的な効果はほぼ同じで、どちらも被告人を無罪にする効果があります。手続き上の違いとしては、証拠不十分による棄却は検察側の証拠調べ終了後に申し立てられるのに対し、通常の無罪判決は裁判全体の審理が終わった後に下されるという点があります。
Q6: もし証拠不十分による棄却の判断が誤っていた場合でも、覆すことはできないのですか?
A6: はい、原則として覆すことはできません。二重処罰の禁止原則が優先されるため、たとえ裁判所の判断に誤りがあったとしても、検察が控訴して再び裁判を行うことは許されません。
ASG Lawは、フィリピン法、特に刑事訴訟手続きに関する豊富な知識と経験を有する法律事務所です。証拠不十分による棄却、二重処罰の禁止原則、その他の刑事事件に関するご相談は、ASG Lawにお任せください。専門の弁護士が、お客様の権利を守り、最善の結果を導くために尽力いたします。
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