正当防衛と過剰防衛の境界線:人々対カギング事件
G.R. No. 139822, 2000年12月6日
はじめに
日常生活において、自己または他者の生命や身体に対する不当な侵害に直面することは、誰にでも起こりうる可能性があります。そのような状況下で、法は個人が自己防衛のために一定の行為を行うことを認めていますが、その範囲を逸脱すれば、法的責任を問われることになります。本稿では、フィリピン最高裁判所の「人々対カギング事件」を詳細に分析し、正当防衛と過剰防衛の境界線、そして自己防衛が認められるための要件について解説します。この事例は、自己防衛を主張する際の重要な教訓を提供し、法的紛争を未然に防ぐための知識を深める上で役立つでしょう。
事件の概要
1989年12月12日、サルバドール・カギングは、アラン・ドミンゲスをショットガンで射殺したとして殺人罪で起訴されました。事件当日、カギングはベボット・マルカレドと共にドミンゲスの家にいました。検察側の証言によれば、カギングはドミンゲスの身元を確認した後、突然ショットガンで頭部を撃ち、即死させたとされています。一方、カギングは正当防衛を主張し、ドミンゲスがまず銃で攻撃してきたため、やむを得ず反撃したと述べました。第一審の地方裁判所はカギングの正当防衛を認めず、殺人罪で有罪判決を下しました。カギングはこれを不服として上訴しました。
法的背景:正当防衛の要件
フィリピン刑法において、正当防衛は犯罪行為とはみなされない正当な状況の一つとして認められています。正当防衛が成立するためには、以下の3つの要件を満たす必要があります。
- 不法な侵害行為の存在:被害者からの現実的、突発的、かつ予期せぬ攻撃、または差し迫った危険が存在すること。
- 防衛手段の相当性:侵害を阻止または排除するために被告が用いた手段に合理的な必要性があること。
- 挑発行為の欠如:防衛者が侵害行為を引き起こすような十分な挑発を行っていないこと。
最高裁判所は、過去の判例において、これらの要件を厳格に解釈しています。特に、不法な侵害行為は正当防衛の前提条件であり、これがなければ正当防衛は成立しません。また、防衛手段の相当性は、攻撃者の武器の種類、攻撃の程度、両者の体格差などを総合的に考慮して判断されます。
刑法第248条は殺人罪を規定しており、不意打ち(treachery)などの状況下で殺人を犯した場合に適用されます。一方、刑法第249条は故殺罪(homicide)を規定しており、殺人罪に該当しない殺人を指します。量刑は殺人罪の方が重く、死刑または終身刑が科せられる可能性があります。故殺罪の場合は、再監禁刑(reclusion temporal)が科せられます。
今回の事件では、カギングが正当防衛を主張したため、これらの法的原則がどのように適用されるかが争点となりました。
最高裁判所の判断:正当防衛の否定と故殺罪の認定
最高裁判所は、第一審判決を一部変更し、カギングの罪状を殺人罪から故殺罪に変更しました。裁判所は、カギングが被害者を射殺した事実は認めたものの、正当防衛の主張は認めませんでした。その理由として、以下の点を指摘しました。
- 不法な侵害行為の継続性の欠如:カギングは、被害者から銃を奪い取った時点で、不法な侵害行為は既に終了していたと認定されました。侵害行為が終了した後に行った射撃は、正当防衛とは認められません。裁判所は、「不法な侵害行為がもはや存在しない場合、防衛者はもはや元の侵略者を殺傷する権利はない」という過去の判例を引用しました。
- 防衛手段の相当性の欠如:仮に被害者がナイフで攻撃を継続したとしても、カギングがショットガンで反撃することは、防衛手段として相当性を欠くと判断されました。裁判所は、ナイフとショットガンの武器の差、カギングが負傷していない事実などを考慮し、ショットガンによる射撃は過剰な防衛行為であるとしました。
- 不意打ち(treachery)の否定:検察側は、カギングの行為に不意打ちがあったと主張しましたが、最高裁判所はこれを否定しました。裁判所は、事件発生前にカギングが約1時間現場に滞在していたこと、被害者と面識があった可能性が高いこと、目撃者の証言に矛盾があることなどを理由に、不意打ちの立証が不十分であると判断しました。裁判所は、「不意打ちは推測することはできず、明確かつ説得力のある証拠によって、殺害そのものと同じくらい確実に証明されなければならない」と述べました。
裁判所は、目撃者の証言の信憑性についても疑問を呈しました。特に、主要な目撃者である被害者の姉妹の証言は、事件の詳細について曖昧であり、一貫性に欠けると指摘されました。裁判所は、「些細な事項における矛盾や矛盾は証人の信頼性を損なうものではないというのが原則であるが、検察側証人の矛盾した供述や重要な詳細の欠落は、その証言の信頼性を損なう」と述べました。
これらの理由から、最高裁判所はカギングの正当防衛を認めず、殺人罪の成立も否定し、故殺罪での有罪判決を支持しました。量刑については、情状酌量事由や加重事由がないため、刑法および不定期刑執行法に基づき、懲役12年から17年4ヶ月の実刑判決が言い渡されました。また、被害者の遺族に対する損害賠償として、死亡慰謝料5万ペソ、精神的損害賠償5万ペソ、実損害賠償9250ペソの支払いが命じられました。
実務上の教訓
本判決から得られる実務上の教訓は、正当防衛の主張が認められるためには、厳格な要件を満たす必要があるということです。特に、以下の点に注意が必要です。
- 侵害行為の継続性:正当防衛は、不法な侵害行為が現に存在する場合にのみ認められます。侵害行為が終了した後に行った反撃は、正当防衛とはみなされません。
- 防衛手段の相当性:防衛手段は、侵害の程度や状況に応じて合理的である必要があります。過剰な防衛行為は、正当防衛として認められません。
- 客観的証拠の重要性:正当防衛を主張する際には、客観的な証拠によってその主張を裏付ける必要があります。目撃者の証言だけでなく、状況証拠や物的証拠も重要となります。
本事例は、自己防衛の限界を明確に示しており、過剰防衛とならないよう、冷静かつ慎重な判断が求められることを教えています。自己防衛の権利は認められていますが、その行使は厳格な法的枠組みの中で行われる必要があることを理解しておくべきでしょう。
よくある質問(FAQ)
- 質問:正当防衛が認められるための具体的な基準は何ですか?
回答:正当防衛が認められるためには、①不法な侵害行為の存在、②防衛手段の相当性、③挑発行為の欠如という3つの要件をすべて満たす必要があります。これらの要件は、個々の事例の具体的な状況に応じて判断されます。 - 質問:過剰防衛とは何ですか?過剰防衛とみなされるとどうなりますか?
回答:過剰防衛とは、正当防衛の要件を満たしているものの、防衛の程度が過剰であった場合を指します。過剰防衛とみなされた場合、正当防衛は成立せず、犯罪行為として法的責任を問われる可能性があります。ただし、情状酌量により刑が軽減されることがあります。 - 質問:もしも相手が武器を持っている場合、こちらはどの程度の反撃までが正当防衛として認められますか?
回答:相手が武器を持っている場合でも、防衛手段は相当である必要があります。武器の種類や攻撃の程度、両者の体格差などを総合的に考慮して、過剰な防衛行為とみなされない範囲での反撃が正当防衛として認められる可能性があります。 - 質問:事件現場から逃走した場合、正当防衛の主張は不利になりますか?
回答:事件現場からの逃走は、正当防衛の主張を不利にする要素となる可能性があります。正当防衛を主張するのであれば、事件後速やかに警察に通報し、事情を説明することが重要です。 - 質問:もしも誤って相手を殺してしまった場合でも、正当防衛は認められますか?
回答:正当防衛は、自己または他者の生命や身体に対する不当な侵害を排除するために、やむを得ず行った行為が認められる制度です。誤って相手を殺してしまった場合でも、正当防衛の要件を満たしていれば、正当防衛が認められる可能性はあります。ただし、過剰防衛とみなされる可能性もあります。 - 質問:正当防衛を主張する際に、最も重要な証拠は何ですか?
回答:正当防衛を主張する際には、不法な侵害行為があったことを示す証拠、防衛手段が相当であったことを示す証拠、挑発行為がなかったことを示す証拠などが重要となります。目撃者の証言、現場の写真や動画、物的証拠などが有効な証拠となり得ます。 - 質問:正当防衛に関する相談はどこにすれば良いですか?
回答:正当防衛に関するご相談は、弁護士にご相談ください。弁護士は、具体的な状況を詳しくお伺いし、法的アドバイスや訴訟手続きのサポートを提供することができます。
本件のような法的問題でお困りの際は、ASG Lawにご相談ください。
お問い合わせはkonnichiwa@asglawpartners.com または お問い合わせページ まで。
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