賃金命令は雇用契約の一部であり、一方的に変更することはできません
G.R. No. 130439, 1999年10月26日
はじめに
賃金は、労働者にとって生活の糧であり、企業にとっても事業運営の重要な要素です。フィリピンでは、政府が定期的に最低賃金や賃金に関する命令(賃金命令)を発令し、労働者の生活水準の向上と企業の健全な発展を目指しています。しかし、賃金命令の適用範囲や計算方法、そして企業の財政状況が悪化した際の対応など、様々な疑問が生じることがあります。本稿では、フィリピン最高裁判所の判例 Philippine Veterans Bank v. NLRC (G.R. No. 130439) を基に、賃金命令と雇用契約の関係、特に賃金計算方法の変更の可否について解説します。
本判例は、財政難に陥った企業がリハビリテーション(企業再建)を行う過程で、従業員の賃金計算方法を一方的に変更しようとした事例を扱っています。最高裁判所は、過去の慣行として確立していた賃金計算方法を、企業が一方的に変更することは許されないと判断しました。この判決は、賃金命令が単なる政府の通達ではなく、雇用契約の一部を構成するという重要な原則を示しています。企業は、賃金命令を遵守するだけでなく、従業員との間で合意された賃金計算方法も尊重しなければなりません。
法的背景
フィリピンでは、賃金に関する主要な法律として労働法典(Labor Code)があります。労働法典は、最低賃金の設定、賃金支払い方法、割増賃金、残業手当など、賃金に関する様々な規定を設けています。また、地域別・産業別に賃金委員会(Regional Tripartite Wages and Productivity Boards)が設置され、地域ごとの経済状況や生活費などを考慮して賃金命令を発令します。賃金命令は、最低賃金の引き上げや、特定の賃金層に対する賃上げなどを義務付けるものです。
本件に関連する重要な法的概念として、「雇用契約」と「既得権益」(non-diminution of benefits)があります。雇用契約は、雇用主と従業員の間の合意であり、賃金、労働時間、労働条件などが定められます。フィリピン法では、雇用契約は書面だけでなく、口頭や慣行によっても成立すると解釈されています。そして、「既得権益」の原則は、労働法典第100条に規定されており、雇用主は、法律や契約、または企業の慣行によって従業員に与えられた給付や特典を、一方的に削減または廃止することを禁じています。これは、労働条件の不利益変更を防止し、労働者の権利を保護するための重要な原則です。
判例の概要
本件の原告であるモリーナ博士は、フィリピン退役軍人銀行(Philippine Veterans Bank、以下PVB)に1974年から勤務していました。PVBは1985年に中央銀行(現フィリピン中央銀行)の管理下に置かれ、清算手続きに入りました。モリーナ博士を含む従業員は一時解雇されましたが、清算業務を支援するために再雇用されました。再雇用後も、モリーナ博士の月給は以前と変わらずP3,754.60でした。その後、1990年と1991年に賃金命令NCR-01号およびNCR-02号が発令され、一定の賃金水準以下の従業員に対して賃上げが義務付けられました。モリーナ博士は、自身の月給が賃上げ対象となるにもかかわらず、PVBが賃上げを実施しないとして、労働委員会(NLRC)に訴えを提起しました。
PVB側は、モリーナ博士の月給は基本給P3,754.60に加え、RATA(Representation and Transportation Allowance)と呼ばれる手当P2,000、特別手当P900を含めるとP6,654.60となり、賃上げ対象外であると主張しました。また、日給計算の基礎となる年間日数についても、PVB側は26.16日(年間労働日数)を主張しましたが、モリーナ博士側は365日(年間総日数)を主張しました。労働仲裁官(Labor Arbiter)は、モリーナ博士の主張を認め、年間日数を365日として賃金差額を計算し、PVBに支払いを命じました。NLRCも労働仲裁官の決定を支持しましたが、PVBはこれを不服として最高裁判所に上訴しました。
最高裁判所は、NLRCの決定を支持し、PVBの上訴を棄却しました。最高裁判所は、PVBが過去に365日を年間日数として賃金計算を行ってきた慣行を重視しました。そして、この慣行は雇用契約の一部となっており、PVBは一方的に26.16日に変更することはできないと判断しました。最高裁判所は、
「銀行が長年にわたり365日という係数を使用して月給相当額を計算してきた旧慣行は、従業員の同意なしに雇用主が一方的に変更することはできません。そのような慣行は現在、雇用条件の一部となっています。雇用契約は、書面であろうと口頭であろうと、双務契約であり、したがって、当事者の一方は、他方の当事者の同意なしにその条件を変更または修正することはできません。」
と判示し、過去の慣行が雇用契約の内容を構成することを明確にしました。また、最高裁判所は、賃金命令がモリーナ博士に適用されることも認めました。モリーナ博士の基本月給はP3,754.60であり、賃金命令NCR-01号およびNCR-02号の対象となる賃金水準以下でした。したがって、モリーナ博士は賃上げを受ける権利があり、PVBは賃金差額を支払う義務があると結論付けました。ただし、NLRCが認めた慰謝料については、証拠不十分として取り消し、弁護士費用は賃金差額の10%に減額しました。
実務上の示唆
本判例は、企業の人事労務管理において、以下の重要な示唆を与えています。
- 賃金命令の遵守義務:企業は、政府が発令する賃金命令を遵守し、従業員に適切な賃金を支払う義務があります。賃金命令は、法律によって定められた最低限の基準であり、企業はこれを下回る賃金を支払うことはできません。
- 雇用契約と慣行の尊重:雇用契約は、書面だけでなく、過去の慣行によっても形成されます。特に賃金計算方法など、長年にわたって確立してきた慣行は、雇用契約の内容として尊重される必要があります。企業は、過去の慣行を一方的に変更する前に、従業員との間で十分な協議を行う必要があります。
- 企業再建時の労働条件:企業が財政難に陥り、企業再建を行う場合でも、従業員の労働条件を一方的に悪化させることは許されません。企業再建計画を策定する際には、労働組合や従業員代表と協議し、可能な限り労働条件の維持・改善に努める必要があります。
- 明確な賃金規定の整備:企業は、就業規則や雇用契約書において、賃金体系、賃金計算方法、手当の種類などを明確に規定することが重要です。これにより、賃金に関する紛争を未然に防ぎ、労使間の信頼関係を構築することができます。
主な教訓
- 賃金命令は、雇用契約の一部を構成する。
- 過去の賃金計算慣行は、雇用契約の内容として尊重される。
- 企業は、賃金計算方法を一方的に変更することはできない。
- 企業再建時でも、従業員の労働条件を一方的に悪化させることは許されない。
- 明確な賃金規定を整備し、労使間のコミュニケーションを密にすることが重要である。
よくある質問(FAQ)
- 質問1:賃金命令はすべての従業員に適用されますか?
回答:賃金命令は、通常、特定の地域や産業、または特定の賃金水準以下の従業員を対象として発令されます。賃金命令の内容をよく確認し、自社の従業員が適用対象となるかどうかを確認する必要があります。 - 質問2:賃金命令で定められた賃上げは、いつから実施する必要がありますか?
回答:賃金命令には、通常、発効日が明記されています。企業は、発効日以降の賃金支払いから、賃上げを実施する必要があります。 - 質問3:業績が悪化した場合、賃金命令による賃上げを延期または減額できますか?
回答:原則として、賃金命令は法律であり、企業はこれを遵守する義務があります。業績悪化を理由に、賃上げを延期または減額することは、法律違反となる可能性があります。ただし、企業再建手続きなど、例外的な状況においては、労働組合や従業員代表との合意に基づき、一時的な賃金調整が認められる場合もあります。 - 質問4:RATA(Representation and Transportation Allowance)などの手当は、賃金命令の対象となる賃金に含まれますか?
回答:賃金命令の対象となる賃金の範囲は、賃金命令によって異なります。基本給のみが対象となる場合もあれば、一部の手当を含む場合もあります。賃金命令の内容を詳細に確認し、不明な点があれば、専門家にご相談ください。 - 質問5:日給月給制の場合、日給を計算する際の年間日数はどのように考えればよいですか?
回答:本判例では、過去の慣行として365日を年間日数としてきた場合、これを一方的に変更することはできないと判断されました。しかし、新規に雇用契約を締結する場合は、年間労働日数(例えば260日や261日)を基礎として日給を計算することも可能です。ただし、就業規則や雇用契約書に明確に規定しておくことが重要です。 - 質問6:賃金命令に違反した場合、どのようなペナルティがありますか?
回答:賃金命令違反は、労働法違反となり、企業は罰金や刑事罰を受ける可能性があります。また、従業員から未払い賃金の支払いを求める訴訟を提起される可能性もあります。 - 質問7:賃金命令に関する相談はどこにすればよいですか?
回答:賃金命令に関するご相談は、弁護士、社会保険労務士、または労働局(DOLE)などにご相談ください。 - 質問8:本判例は、現在でも有効ですか?
回答:はい、本判例は現在でも有効な判例として引用されており、フィリピンの労働法実務において重要な意義を持っています。
ASG Lawは、フィリピンの労働法務に精通しており、賃金命令に関するコンサルティング、労使紛争の解決、就業規則の作成・見直しなど、幅広いサービスを提供しています。賃金命令に関するご不明な点やご不安な点がございましたら、お気軽にご相談ください。 konnichiwa@asglawpartners.com または お問い合わせページ よりご連絡をお待ちしております。ASG Lawは、貴社のフィリピンにおける事業運営を法務面から強力にサポートいたします。


Source: Supreme Court E-Library
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