雇用契約は一身専属性、相続人への承継は限定的
G.R. No. 117495, 1997年5月29日
事業承継は、多くの場合、複雑な法的問題を引き起こします。特に、前経営者の従業員に関する責任は、承継者にとって大きな懸念事項です。もし、事業を引き継いだ後に、前経営者の従業員から未払い賃金や不当解雇の訴えを起こされたらどうなるでしょうか? 本判例、マルティネス対国家労働関係委員会事件は、まさにそのような状況下で、フィリピン最高裁判所が下した重要な判断を示しています。雇用契約が「一身専属性」を持つという原則、すなわち、特定の個人にのみ適用される性質を持つことを明確にし、相続人が当然に雇用主としての義務を承継するわけではないことを示しました。この判例は、事業承継における労働法上の責任範囲を理解する上で、非常に重要な教訓を提供しています。
法律の背景:雇用契約と相続
フィリピンの労働法体系において、雇用契約は民法上の契約と同様に扱われますが、労働者の保護を目的とした特別な規定が設けられています。重要なのは、雇用契約が「一身専属性」の契約と解釈される場合がある点です。これは、契約当事者の一方、特に雇用主が死亡した場合、その契約関係が当然に相続人に引き継がれるわけではないことを意味します。ただし、これは絶対的なルールではなく、契約の内容や状況によって判断が異なります。
関連する法律として、労働法第110条は、雇用主の破産または清算の場合における労働債権の優先順位を定めています。また、民事訴訟規則第86条第5項は、被相続人に対する金銭債権の請求手続きについて規定しており、債権者は相続財産管理人に対して一定期間内に請求を行う必要があります。これらの規定は、雇用主が死亡した場合の労働者の権利保護と、相続手続きの円滑な進行を両立させることを目的としています。
本判例で特に重要なのは、大統領令851号(13ヶ月目の給与に関する法令)の施行規則第3条(e)項です。これは、純粋な歩合制で報酬が支払われる労働者は、13ヶ月目の給与の対象外であることを明記しています。この規定は、タクシー運転手のような歩合制労働者の待遇を巡る議論において、しばしば参照されます。
事件の経緯:タクシー運転手たちの訴え
事件の背景は、ラウル・マルティネスというタクシー事業者が経営していた「PAMA TX」と「P. J. TIGER TX」という二つのタクシー会社に遡ります。ドミニドール・コッロ氏ら12名の運転手は、ラウル氏のもとで働いていました。彼らは、1989年から勤務し、一日24時間隔日勤務で、一日あたり400ペソ以上の収入を得ていましたが、13ヶ月目の給与は一度も支払われていませんでした。1992年3月、ラウル氏が亡くなり、母親であるネリー・アクタ・マルティネス氏が唯一の相続人となりました。
ラウル氏の死後、運転手たちはネリー氏に対し、大統領令851号違反(13ヶ月目の給与未払い)と不当解雇を理由に労働仲裁裁判所に訴えを起こしました。運転手たちは、ネリー氏が事業を承継し、当初はタクシー事業を売却する意向を示唆したものの、最終的には他の運転手にタクシーを割り当てたとしています。一方、ネリー氏は、13ヶ月目の給与請求は故ラウル氏個人の債務であり、相続されないと主張しました。さらに、運転手たちは歩合制であり、13ヶ月目の給与の対象外であると反論しました。また、自身は事業を承継しておらず、事業はラウル氏の死によって終了したと主張しました。
労働仲裁官は、運転手たちの訴えを棄却しました。その理由として、(a) 請求は故ラウル氏個人のものであり、死亡によって消滅した、(b) ネリー氏は事業経営の能力を持たない主婦である、(c) 歩合制のため、雇用関係の存在が疑わしく、13ヶ月目の給与の対象外である、としました。
しかし、国家労働関係委員会(NLRC)は、この判断を覆しました。NLRCは、(a) 運転手たちは正規雇用であり、賃金の支払形態は雇用関係の成立要件ではない、(b) ネリー氏は事業を承継し、新たな運転手を雇用している、(c) 事業は継続しており、請求権は消滅していない、と判断しました。ただし、13ヶ月目の給与については、大統領令851号の規定に基づき、運転手たちの請求を認めませんでした。NLRCは、ネリー氏に対し、復職の代わりに、運転手たちに勤続年数に応じた解雇手当を支払うよう命じました。ネリー氏はこれを不服として、最高裁判所に上訴しました。
最高裁判所の判断:雇用契約の一身専属性
最高裁判所は、NLRCの判断を覆し、労働仲裁官の決定を支持しました。最高裁判所は、ネリー氏の主張を認め、13ヶ月目の給与請求は故ラウル氏個人の債務であり、相続されないと判断しました。判決の中で、最高裁判所は以下の点を強調しました。
労働契約は一身専属性のものであり、事業の譲渡があった場合でも、譲受人は明示的に承継しない限り、労働契約上の義務を負わない。本件において、申立人(ネリー氏)は、息子の事業を継続していないと主張しており、息子と被申立人(運転手たち)との間の労働契約の存在すら争っている。
最高裁判所は、労働契約が「一身専属性」の契約であることを改めて確認し、前経営者の債務は、新たな経営者が明示的に引き継がない限り、承継されないという原則を示しました。また、運転手たちの請求は、故ラウル氏の相続財産に対して行うべきであり、ネリー氏個人に対して請求することはできないとしました。さらに、最高裁判所は、NLRCがネリー氏と運転手たちの間に雇用関係があると認定した根拠が薄弱であると指摘しました。NLRCの認定は、運転手たちの主張のみに基づいており、客観的な証拠に欠けるとして、NLRCの判断を「重大な裁量権の濫用」と断じました。
実務上の教訓:事業承継と労働法
本判例は、事業承継における労働法上の責任範囲を明確にする上で、重要な意義を持ちます。特に、中小企業の事業承継においては、雇用契約に関する理解不足が原因で、予期せぬ法的トラブルに発展するケースが少なくありません。本判例から得られる実務上の教訓は以下の通りです。
- 雇用契約の一身専属性の原則を理解する: 雇用契約は、原則として一身専属性のものであり、雇用主が死亡した場合、当然に相続人に承継されるわけではありません。事業承継の際には、この原則を踏まえ、労働契約の承継について明確な意思表示を行う必要があります。
- 労働債権は相続財産に対する請求: 故雇用主の未払い賃金や解雇手当などの労働債権は、相続財産に対する請求となります。債権者は、相続手続きの中で、相続財産管理人に対して請求を行う必要があります。相続人個人に対して直接請求することは、原則として認められません。
- 事業承継時の労働条件の明確化: 事業承継後も従業員を継続雇用する場合、労働条件について改めて合意することが重要です。特に、給与、労働時間、福利厚生などの条件については、書面で明確に定めることが望ましいです。
- デューデリジェンスの実施: 事業承継を行う際には、対象企業の労働関係に関するデューデリジェンス(法務監査)を徹底的に行うことが重要です。未払い賃金、未消化の有給休暇、係争中の労働事件など、潜在的な労働債務を把握し、適切なリスク評価を行う必要があります。
よくある質問(FAQ)
- 質問:雇用主が死亡した場合、従業員の未払い賃金はどうなりますか?
回答: 未払い賃金は、故雇用主の相続財産から支払われるべき債権となります。従業員は、相続手続きにおいて、相続財産管理人に対して未払い賃金を請求することができます。 - 質問:事業を相続した場合、故雇用主の従業員を継続雇用する義務はありますか?
回答: 事業を相続したからといって、当然に従業員を継続雇用する義務を負うわけではありません。ただし、事業を継続する場合、従業員の雇用を維持することが望ましいと考えられます。継続雇用しない場合は、解雇に関する法的手続きを踏む必要があります。 - 質問:事業譲渡の場合、従業員の雇用契約は譲受人に引き継がれますか?
回答: 事業譲渡の場合、従業員の雇用契約が当然に譲受人に引き継がれるわけではありません。ただし、労働契約承継に関する合意がある場合や、事業譲渡の実態から雇用関係の承継が認められる場合があります。 - 質問:13ヶ月目の給与は、どのような場合に支払われる必要がありますか?
回答: 13ヶ月目の給与は、大統領令851号に基づき、一定の要件を満たす従業員に対して支払われる必要があります。ただし、純粋な歩合制で報酬が支払われる労働者や、管理職など、一部の従業員は対象外となる場合があります。 - 質問:労働問題を弁護士に相談するメリットは何ですか?
回答: 労働問題は、法律や判例に関する専門的な知識が必要となる場合が多く、個人で対応するには限界があります。弁護士に相談することで、法的リスクを適切に評価し、最適な解決策を見つけることができます。また、交渉や訴訟などの手続きを弁護士に依頼することで、時間や労力を大幅に削減することができます。
ASG Lawは、フィリピンの労働法務に精通しており、本判例のような雇用問題に関する豊富な知識と経験を有しています。事業承継、雇用契約、労働紛争など、労働問題でお困りの際は、ASG Lawまでお気軽にご相談ください。専門弁護士が、お客様の状況を丁寧にヒアリングし、最適なリーガルサービスを提供いたします。
お問い合わせは、konnichiwa@asglawpartners.com または お問い合わせページ からお願いいたします。ASG Lawは、貴社のフィリピンでのビジネスを法的に強力にサポートします。


Source: Supreme Court E-Library
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